JAPANESE SCENES

江戸の花見には、もう一つの顔があった。

JAPONISM Editorial

桜色の布の前に置かれた、JAPONISMの情景 SAKURA の石鹸と包み紙

春になると、日本中が桜の開花を待ち始めます。

いつ咲くのか。

どこが満開なのか。

いつ散ってしまうのか。

毎年同じように桜を楽しんでいるようで、その風景は時代とともに少しずつ変わってきました。

江戸時代の花見を調べると、現代とは違う、意外な楽しみ方が見えてきます。

花見は、一日がかりのお出かけだった。

庶民の間にも桜の花見が広く親しまれるようになったのは、江戸時代といわれています。

当時の花見は、前日から準備をするほどの一大行事でした。

着物を整え、食べ物を用意し、家族や仲間と出かける。

桜を見ることはもちろん、普段とは違う時間を過ごすこと自体が楽しみだったのでしょう。

八代将軍・徳川吉宗は、享保5年(1720年)から江戸の飛鳥山などに多くの桜を植えさせました。

現在も桜の名所として親しまれる場所には、江戸の人々がつくり上げた風景が残されています。

寺子屋の宣伝にもなっていた、花見の行列。

少し意外なのは、江戸時代の花見に、寺子屋の師匠たちも参加していたことです。

師匠が大勢の弟子を引き連れ、揃いの日傘や手拭で着飾って花見へ出かける。

その人数が100人を超えることもあったと、国立国会図書館の資料に記されています。

華やかな行列は、人々の目を引きました。

そこには、寺子屋の存在を知ってもらうという意味合いもあったと考えられています。

今でいう宣伝のような役割を、花見が担っていたのです。

桜の下に集まる人々の姿は、当時の浮世絵にも描かれています。

絵の中に残されたのは、花の美しさだけではありません。

その時代の人々の楽しみ方や、暮らしの気配でもあります。

いま見ている桜は、江戸の終わりに生まれた。

もうひとつ、桜について知っておきたいことがあります。

日本で広く親しまれている「ソメイヨシノ」は、江戸時代の終わりごろに生まれたとされる品種です。

江戸の染井、現在の東京・駒込から巣鴨あたりの植木屋によって広められたとされています。

「ソメイヨシノ」という名前がついたのは、明治時代になってから。

私たちが日本の春の象徴だと思っている風景も、長い歴史の中では比較的新しいものなのです。

春の記憶を、日常へ。

桜の季節が特別なのは、美しい花が咲くからだけではないと思います。

新しい生活が始まること。

誰かと別れ、また誰かに出会うこと。

同じ場所を、去年とは違う気持ちで歩くこと。

桜には、そんな個人の記憶が重なっていきます。

JAPONISMの「SAKURA」は、その春の情景から生まれた香りです。

桜が咲いていない季節にも、ふと春を思い出せるように。

日本の四季を、目で見るだけでなく、日々の暮らしの中でも感じられるように。

一枚の絵と、ひとつの香りに、そんな願いを込めています。